朽葉考集録

めめとちゃんの雑記帳です

毒虫になりたかった

昔の僕は、自分が嫌いだった。
見た目も冴えないし、スポーツもそこそこできる程度で他人に誇る程じゃない。成績もさほど良いわけじゃない。
ただただ凡庸で、何もない人間。それが、僕の自己評価だった。

いや正直、今でも内実は大して変わっちゃいないけども…
僕は文芸部に所属してるが、書き手としては三流だし、周りの誰にも僕は作品の出来で勝てちゃいない。
悔しい話だけども、どれだけ強がって上手く書けてるフリをしても、「今は自分が負けてる」ってことはよく分かってるつもりだ。

でも、昔と今の僕を比べたら。絶対に今のほうがマシだって言える。だって、自分が負けてるってことを認めて、這い上がろうと思えてる。
これが昔の僕だったら全部押し殺して、塞ぎ込んでたんだろうな。正義のヒーローが来るのを待ち望んでる子供みたいに、不安をそれに倍する「明日への希望」で抑えつけて。
結局、それでは何も変わりやしなかった。抑えつけてたら反動が来るのは当たり前だけど、この場合「何も起こらない」ってのが何よりの反動になって僕を傷付けた。
それで、自分を変えようと思った。色んな本を読んで
(誰かと話すってことができなかったから、こんな捻くれた人間になったと思うのだが)、一つ憧れた物があった。日記文学のように、日常を俯瞰して書く…そう、世界を観察してるような態度の書き手だ。僕もそう在りたいと思ったから文章を書くのを始めて、見事に挫折した。ああいう文章書くのって、何かしらの経験値が要るんじゃないだろうか…

……こんなくっさい事書くために筆を取ったわけじゃない。
そんな昔の僕のノートを掘り起こしたんだけど、その中に面白い事が書いてあったので、それについて紹介したい。
当時の僕は誰とも話したくなかったから、ひたすら教室の隅なんかで本を読んでいて、その中に「変身」があった。
かの有名な、毒虫になったグレゴールの話だ。
僕は、ノートに「僕も毒虫になりたい」と書いている。余りにも駄文で引用するのもアレなので要約するが、グレゴールは毒虫になりたかったというのが僕の考察で、誰からも嫌われた存在になりたかったのだろう…というのだ。
そして、人々は嫌いな物を無視するか、排除するものだ。ちょうど、アトピーのせいで当時いじめられていた僕のように、暴力で。
僕は無視される存在になりたかったんだろう。誰からも等しく無視されて、何とも思われない、路傍の石。或いは、醜い毒虫に。

何が言いたかったのか忘れてしまったが、とにかく僕は毒虫になりたかった。これを読む人はどうだろうか?
毒虫になりたかった人はいるだろうか?
少なくとも、僕は今、毒虫になりたいとは思っていない。ほんの少しとはいえ、現実での人間関係もできてきたし、今更「死にたい」とか「誰も近づいてほしくない」とか、そんな事言えないわ。こっ恥ずかしいし。
でも、もし毒虫になりたいなら、なるといい。
人生には選択できる機会は沢山あるのだし、僕らは選択する自由がある。結果はどうなるにせよ、選択する事は拒まれない。
君にとって毒虫になるのが本当に望みなら、それは叶えられるんだろう。