朽葉考集録

めめとちゃんの雑記帳です

神話の話。

 僕は幼少のころ、本の虫だった。毎週のように図書館に行っては限界まで本を借り、親に叱られるまで昼夜関係なく延々と読み続けていたものだ。そんな本好きは今でも治っていない。

 まあ、今は一日中読書というわけにもいかないし、毎日一冊くらいをノルマにしているんだけど、たまにページをめくる手が止まらなくなる事がある。ファンタジー小説は次のページが気になって仕方ないし、科学の本を読めば書かれている実験を試してみたくなる。そして何より、読み終われば "次の本が読みたい" って思っちゃう。この、「新しい物を知りたい、見たい」っていうのは人として大切な感情なんだろう。

 好奇心があるから、人は今まで発展し続けてきた。新大陸発見、錬金術から産まれた化学、なんでもいいけど、人は未知を暴き、神秘のヴェールを剥ぎ取るのが大好きなんだ。
 そして、そんな人類にとっての最大の神秘が、「神話」だ。

 世界には、宗教の数、民族の数だけ、それにまつわる神話がある。ギリシャ、ローマ、ケルト、勿論日本、更には人の創作した神話…有名なのはクトゥルフ神話辺りだろうか?それらには人が世界に感じた「未知」や「恐怖」が "神々" または "怪物" という形を持って登場する。それらのエピソードの集合体が神話、というわけだ。勿論、神話は神々や怪物だけが登場するわけじゃなく、人間がメインになるエピソードだってある。

 例えば、自らの姿に見惚れた結果スイセンになった美少年、ナルキッソスであったり、元々白かった花が乙女の血によって真っ赤に染まったとか、そういう類…物の由来や名前の由来に関わるエピソードだ。今の世の中じゃ、こういう話は「非科学的な与太話だ」などと言われるかもしれないが、現実の話かどうかを置いて、古の人々はその花が咲く理由という「未知」に対して、神話っていう回答を出したんだ。

 実に詩的で美しい(実際、神話は詩の形式を取ってることが多々あるけど)表現だと読んで思うし、当時の人も「花の美しさ」という未知に見合う話を美的センスを振り絞って作り上げたんだろう。知らない物に最もらしい話を付け加えることで、「未知」を自らが納得する物語にするのが、神話。僕はそう思う。

 でも、人間は先に言った通り、未知を暴きたがる存在だ。闇がそこにあれば照らさずにはいられないし、自分の知らない存在に理屈を付けて理解しないと気が済まない。花の咲く理由は証明されて、日の昇る理由は地球の自転のせいなんだそうだ。

 そうやって未知が解明されていくのは、僕のように今までその未知を愛していた人にとっては意味のなく、退屈な行為なんだけど、こうも思うのだ。

 未知に対して最もらしい、筋道立った話を付けているっていうのは、科学も神話も大差無いものなんじゃないかって。もし数千年後に、現在の科学と全く違う体系の理論で世界が説明されるようになったなら、科学だって現代の神話と変わらない扱いをされるのかもしれない。

 もしそうなったら、僕のような本の虫たちだけがそんな「神話」を頭の片隅に留めるようになるんだろう。それはそれで、面白そうじゃないか?