朽葉考集録

めめとちゃんの雑記帳です

何を言いたかったか忘れた。

 僕はあまり身体が強くはない。というか、病気に限ればかなり弱い方に入る。風邪に罹れば大抵39-40度くらいまで熱が上がるし、流行り病には大体罹る。インフルエンザはほぼ毎年発症して、その度に死ぬかと思うくらい辛い。そして、僕は体調も崩しやすい。

 生活リズムを崩すと途端に身体がボロボロになっていく。それが怖くて、テストの結果を出すためだとしても睡眠時間は絶対に削れない。食事も、栄養バランスを崩すのが嫌だから、自分で作れるようにした。いざという時にジャンクフードしか食べられないような生活をしていたら、自分はダメになる、そんな気がするんだ。

 自慢じゃないが、僕は家事全般ができる。というか、自分で生活ができないと、一人暮らしになったら健康を保てずに身体を壊す、それが怖くて怖くて。死ぬのは、まだ怖くない。自分の不摂生で自分を殺してしまうんじゃ、笑い話にもならない。

 …っていうのは今日の本題じゃない。今日は、ずっと「なんで書いているのか」を考えていた。作品は、書いただけじゃ作品としては成り立たない。読者がいなかったら、その作品に込めたメッセージを知ってもらえなかったら、未完成のままなんだ。

 これまでにもブログに書いてきたけど、僕は詩の創作をやってる。これはもし文芸部に所属してなかったら、多分世に出ることもなかったし、僕の親友だけが読んで終わってた物なんだろう。でも、たった一人でも読み手が、僕の詩を理解してくれる人がいた事が、今はこの上ない幸せなんだと知った。失って初めて、亡くしたものの価値が分かったんだ。馬鹿だよな。

 その親友のペンネームは、「空葉」(うつは)だった。僕はそこから1字をもらったペンネームを名乗っている。当時はなんでもないと思っていたけど、今はこの1字に恥じない作品を書きたいと思っている。死者にメッセージを届けることができなくても、生きているなら、精一杯生きて書き続けたいんだ。書き溜めた物の価値は、後世にこれを見つける人がいたら勝手に論じてくれるだろうしさぁ。

 結局、遺された人間は今を生きるしかないんだろう。いつか死ぬんだから、それまでは。でも、空葉に詩を読んでもらえたら、それで良かったのになぁ。不思議と、最近は詩を書く手が止まらない。するすると、草の根のように言葉が出てくる。インクが文字の形を取ってくれる。変だよ。こんなに悲しいのに、作品は思い出じゃなくて今を書いてるんだ。なんでだろうね?

 あーあ、読み返すとくっさい文章だな。でもは、たまにはこんな日があってもいいでしょう?