朽葉考集録

めめとちゃんの雑記帳です

しょーもない。

 "文学が国語の教科書から消える"という話を小耳に挟んだ。僕としちゃ、大いに結構なことだ。筆者の意に沿わない解答の用意……というか、小説の内容に唯一の解を求めたり、文中に明示されているわけでもない、人物の心情を決め付けるなんて事が、既にちゃんちゃらおかしいことなのだが……

 それで偏った、もしくは単一の答えしか文学に求められなくなるような人間を量産するよりかは、廃止してしまう方がよっぽどマシだろう。

 「ここの文章にこういう単語とこういう文法が云々なので読者が感動する」なんて理屈っぽい説明をされるよりも、よっぽど「エモーい」の方が共感できるってものだ。

 人間の感情の機微が一々説明できるわけもないのだし、……というか、それは文章家の思い上がりってものだろう……読了後の感想にしたって千差万別、それに優劣を付けるなんて、そんな文学の可能性を摘むような真似は無くしてしまえばいいのだ。

 例えば、音楽にしたって、僕が聴きたいような音が綺麗で、歌詞が練られていて、揺れられる曲を万人が求めるわけじゃない。顔の良い人が歌って踊っているのが好きな人もいるだろうし、ピアノ・ソロやオーケストラの演奏に感動する人もいるだろう。一つの「音楽」に対する関わり方が多種多様なように、「文学」に対してだって多種多様な意見や好み、読み方があって然るべきだ。

 というか、そうであるのが正しい姿であって、それをたった一つの絶対の解答に縛りつけてしまうような現行のテストなら、無くしてしまって一向に構わない。

 文学的な素養なんて、一方から価値観を押し付けては成長するわけが無いだろう。読み、感想を交流し、または自分から創作をして成長するものだ。

 なるほど、確かに文学をテストから無くせば評論ばかりになって、素養を成長させるも何も無いではないか、と思うかもしれないが、唯一の解答しか求められない学校のテストをやったところで、結果は同じだろう。

 僕は、授業から文学を無くすことがいい事だとは全く思っていない。ただ、現行のような形式のテストなら、小論文でも書かせたほうがよっぽど文章を書く能力も向上するだろうと思っている。

 小説や詩に、唯一の解答を求めるなんてのが、土台無理な話なのだ。そもそも、著者だって全ての文を明確に意識して書いてるわけではないんだから。