朽葉考集録

めめとちゃんの雑記帳です

冬の窓辺から。

 外はすっかり真っ白に染まって、遙かな山々と川霧、雪と吐く息の色が一致する、厳しい冬が今年も打ち寄せている。生命の温もりを感じさせない、死出の白装束のように凛々しく、そして身を切るように鋭い寒さが肌を貫く。
 こんな世界を前にしては、夏の暖かさや秋の儚さを論じる気にもなれないので、もっと内向的に、暖房の効いた部屋で人について考えていきたいと思う。

 人間の寿命ってのはどんどん伸びてるけれど、結局は身体なんてのは脆いんだから、いつ死ぬかなんて分かったもんじゃない。布団の上で大往生なんて柄じゃないし、「今朝道を聞かば夕べに死すも可なり」なんて事を言える覚悟もないけど、最近刺さるのは、ガンディーの「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」って言葉だ。

 何度も言ってるけど、人は学ばないでいたら腐る存在だ。考えない葦は、所詮踏み潰され、吹き飛ばされる程度の価値しかないのだ。必死に考え、考え、考え抜かないといけない。そう感じて文章を書いている。

 その成果かは知らないが、最近は引用を駆使して文章を作るようになった。引用のしすぎは良くないとは言われるけど、引用することもその人自身の知識と知性の内の事柄だし、悪い事ではないだろう。そう思うと、前よりものびのびと文章を書ける気がする。

 というのも、他人の詩藻一つを考察して、更にそこから結論を書き出すにも、自分一人の言葉では限界がある。僕はそれなりにボキャブラリーのある方だと自負しているが、それでも他人の力を借りなかったら色々なジャンルに自力で手を伸ばすのは大変だ。

 東方一つ取っても、民話、風習、科学、宗教といった知識と、それらを包括する「緩い」世界観、BGMに名付けられたタイトルやキャラの能力、その意味合い……これらの複雑に絡み合った、謂わば「創作の糸」で織られた色彩豊かで、光の当たる角度を変えれば色も変わるような、まさに変幻自在の布地のような物だ。

 ついでに言えば、その布地を一度解いてから再び織り直して、新たな一枚布を提示するような、想像力に満ちた創作者もいる。その色合い、織り目の見事さはただただ感嘆するばかりだけれども、本気でその重なり合う状態を読み解こうとするのは難解この上ない。

 なにせ、こちとらその辺の凡人だ。新しい知識を仕入れ、推測し、散らばった情報を繋ぎ合わせて納得の行く結論を出すのは、かなりの頭脳労働になる。勿論、それにやり甲斐を感じてるからやってるんだから、これは純粋に作者への称賛だ。

 僕だって物書きの端くれだから、自分の作品に誇りを持っている。だからこそ、他の作り手にも敬意を惜しまないし、ついでに言えばより良い創作をしようとペンに熱が籠もるわけだ。

 重要なのは書き続けること。書いてきた物に胡座をかくような大御所にはとっとと後進に道を譲ってもらわなきゃいけないし、書きたい物を貫いて認められない人にこそ、光を浴びてもらいたい。言う人よりもやる人、何より、やりたい事をやる人こそが一番カッコいいしさ。

 さて、言う事も無いし、今日はこんなもんにしておきますか。