朽葉考集録

めめとちゃんの雑記帳です

考察メモ・追補編

 以前書いた「考察メモ」↓ だが、
https://mmtm.hatenadiary.jp/entry/2019/11/08/184224
これだけでは、僕のやってる考察について誤った見方を抱いてしまうかもしれないと気付いたので、急遽この記事を執筆している。


 というのも、歌詞を分析することにおいて、「その語が本来持つ意味」についてばかり考えると、本来書き手が受け取ってほしかった内容を取り違えてしまう可能性がある。

肝心なのは「その語の意味」ではなくて「その文の要旨」であり、さらに言えば「作品に込められたメッセージ」であるにも関わらず、だ。これではよくない。


 これは、知識を貯め込んでいる人ほど陥りやすい罠なのかもしれない。文章を読むとき、確かに知識は大きな武器になる。だけど、増やせば増やすだけ文章が読みやすくなったり、言葉による世界がクリアに見えるわけでもない。

例えるなら、ガラスは微量の鉛によって透明度を増すが、不純物が多いと色が着いてしまう。それと似たようなもので、余計な知識に振り回されて文意を読み解けなくては本末転倒である。

煩雑で理解しにくい内容の考察にならないようにするためにも、単語ではなく文脈の意味を取ることに注力するべきだろう。


 もちろん知識を積み重ねるという「足し算」は大切なんだけれど、考察に必要なのは、その積み上げた物から使う物を絞り込む「引き算」だ……というのが、ここ最近考察に浸りきってて、ようやくわかった気がする。

料理でも、味覚は足し算より引き算……素材の味を引き出すのが大切なのだと言うし、作品という「素材」の味を引き出すシェフが僕のような考察畑の人間なら、考察記事は調味料、出来上がる料理は読者の感想―――

 というのは、少し自惚れかもしれないな。だって、元の「素材」がすでに「噛めば噛むほど味の出る」代物なんだし。


 さて、結論としては

「考察に必要なのは『語釈』ではなく『意訳』だ」

といった所だろうか。図らずも、本居宣長の「古今集遠鏡」と同じような考えに行き着いたわけで、まったくどうして、先人の知恵っていうのは僕のような凡人の考えには既に辿り着いてるんだなぁ……


って感じで、今日はペンを置くことにしよう。

ではでは。