朽葉考集録

めめとちゃんの雑記帳です

雑記・神話と僕ら

 何も書いてないと思われるのもアレだし、ちょっとした思考のスパイスを投下したいと思う。

 まあ、この言葉は妄言とはしないが、乱雑に書き散らした草稿から使えそうな物を引き抜いて構成を変えただけだ。面白おかしく解釈して、読み飛ばしてもらえば当時の私も喜ぶだろうさ。では。







《仮装する秘密》
 当たり前だが、秘密とは隠されるから秘密だ。「公然の秘密」って言葉はあるが、あれだって隠される必要がある、しかし暴かなければ問題がないから誰もが知っていても言わない事象に使う。
 
 要するに、秘密とは建前なのだ。そして、建前はより大事な物を守り隠すために使われる。「自分の心への負荷<秘密を明かす負荷」が成り立つのであれば、それはその人にとって隠す価値のある秘密ってことだ。

 さて、個人個人がそうした秘密を持つわけだが、昔はある秘密を集団で保持し、伝えていた。それは……神話だ。





 例えば、偶然にも枯れた地に水が湧き出たとする。今なら、それは地下水が……とか、何らかの合理的な説明をつけるだろう。しかし、その説明を付けられない古代には、「水神の恵み」などといったように超常の存在にその理由を仮託する。

 これに限らず、神話とは「理由の分からないこと、非人為のこと」を説明するために付加された物語……「真実であることを求められた」劇場なのだ。

 勿論、現代の観点から見れば水神の恵みなどでない事は明らかだ。それでも、当時の人々にとっては「水神の恵み」で説明がつくのならばそれが真実となる。真実とは合理的で正しいかではなく、大衆が認めれば真実なのだ。

 だからこそ、「全てに科学的で合理的な理由があること」を真実とする現代では、神話は求められない。むしろ排斥された。今や、民間で細々と怪談やミステリー、超常現象として残る程度だ。
(だとすれば、誰もが嘘を語り、物語をでっち上げられるインターネットこそ、現代の神話の温床なのかもしれないが。)

 神は、"実在しないから存在する"。詭弁と思うかもしれないが、「ここにいない」から「どこかにある」のが超常の存在なのだ。神を普遍の理屈に置き換えてしまえば、それは神の行いではない、単なる法則になってしまう。

 故に心ではなく理性で物事を捉え、万事に法則を求めて特別さを求めない現代の知性は、神話という独立、特異であることを基礎とするモノとは背反の思想になる。

 これからの未来、神話を代表とする超常の存在はどこへ向かうのか。世の中に完璧な存在が無いとするなら、全ての超常現象を説明しきれないのかもしれない。だがもし、世界の全てを知性で割り切れるのであれば……それはとても、退屈な世界なのかもしれない。

 なにせ、それは世界に疑問を抱く余地が無いってことだ。不思議も、疑問もなく、全てが合理的に説明できてしまうのなら、好奇心なんて持ちようがないじゃないか。